TIFF TOKYO INTERNATIONAL FILM FESTIVAL 第25回東京国際映画祭 2012.10.20-28 www.tiff-jp.net

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2012/10/23

「内容の詰まったドキュメンタリーにこそ、娯楽性が必要だ」 10/22(月)natural TIFF 『南の島の大統領――沈みゆくモルディヴ』:トークショー

saitoutakumi

 「自然との共生」をテーマに創立されたnatural TIFF部門。5回目となる今年は、自然と人類と環境問題をテーマにした、地球愛に溢れる力強いドキュメンタリー8作品を紹介します。この日は『南の島の大統領――沈みゆくモルディヴ』の上映後、客席で作品を観終えたばかりのTIFF応援団の俳優・斎藤工さんを迎え、矢田部吉彦プログラミングディレクターとのトークショーが行われました。  
©2012 TIFF
  矢田部:この作品をご覧になってどのようにお感じになりましたか?   斎藤:この映画を観るという体験をしなければ、モルディヴという国をこれだけ意識することはなかったと思います。ここに描かれていることが正義や正解だとは思いませんが、これは1つの角度から見たリアルだと思います。ただ、日本のお茶の間のニュースでは、残念ながらモルディヴに関するニュースはほとんど流れません。流れたとしても、日本のニュースは同じニュースソースだったりします。独自の視点で取材したドキュメンタリー映画は、今の地球の状況や、日本以外の国の真実を知る手段として、自分の内側に情報を蓄積するための情報源として、これから重要になってくると思います。   矢田部:まさにドキュメンタリー映画にはそういう力があると思います。ダイビング天国やリゾート地といったイメージしかないモルディヴの現実を、この映画によって初めて知ることができました。また、斎藤さんがおっしゃるように、そこに描かれていることをそのまま信じるのではなく、真実かどうかを意識しながらきちんと見ていく「リテラシー」の能力が、ドキュメンタリーを観る際には必要です。   斎藤:その作品がどういう角度で切り取られているかを理解することが大事ですし、その角度を増やしていくと、自分なりの基準値ができてくると思います。もうひとつ、ドキュメンタリーに必要なのはエンタメ性。描かれる内容が環境問題だとしても、映画は単なる解説や授業ではないので、気軽に咀嚼できる娯楽であってほしいなと思う。時代的にも今後、こういう風に内容の詰まったドキュメンタリーが増えてくると思うので、その分、娯楽性が重要になってくると思います。   矢田部:おっしゃる通りです。映画祭にかける作品の選定をする立場として、natural TIFF部門は環境問題や地球に関する真面目なメッセージのある作品を大事にしていますが、説教臭かったり、娯楽性がなかったりする作品は選びません。この作品も、モルディヴの歴史を学ぶ部分がありますが、それ以上に、大統領のカリスマ性や、彼のロビー活動が実るか否かというサスペンス性が映画を盛り上げて、観る側がぐいぐい引き寄せられる。それが映画の力であり娯楽だと思います。そこがなければ、単なる解説に終わっていて、僕は選ばなかったと思います。  
©2011 AfterImage Public Media
南の島の大統領――沈みゆくモルディヴ』   斎藤:カメラの距離が、最初からすごく近いですよね。ドキュメンタリーの肝は、被写体とのカメラの距離なんです。というのも、役者という仕事をしている僕にとってすら、カメラのレンズの前に立つという行為は非日常なんですね。レンズを向けられると、心境が普段通りではいられない。   矢田部:いまだにですか?   斎藤:はい。ドキュメンタリーは、カメラがたまたまその日常を切り取ることでリアリティを追求するものですが、その実、撮影している環境は非日常だと思うんです。僕は日本をドキュメンタリー大国だと思っていて、原一男さんや森達也さんら監督たちは、どこかで被写体に対して批判をしている。その賞賛と批判のバランスが観る者にとって一番重要だと思うし、それはカメラの距離に表れる。この作品のようにカメラが近いと、大統領の政党の一員のような感覚で観ることができるし、だからこそ後半のサスペンスに入り込めるのですが……   矢田部:大統領のブレーンが撮っているので、踏み込んだカメラ位置ですよね。そのアングルで盛り上げるのは、ドキュメンタリーのひとつのあり方かもしれませんが、被写体に近い人間が撮っているということは、客観性や信憑性という意味で、意識したほうがいいと思います。   斎藤:そうですね。でも、その近さによって、僕らが普段観られない裏側を観られるというメリットもあります。どんなに立派だと言われる仕事に就いている人も、ドキュメンタリーを観ると、「やっぱり人間なんだな」という結論にいつも辿り着きます。   矢田部:斎藤さんは非常にたくさんの映画をご覧になることで有名ですが、ドキュメンタリーはいかがですか?   斎藤:昨日、映画祭で『フラッシュバックメモリーズ3D』を観て、今『南の島の大統領』を観て改めて、ドキュメンタリーこそ劇場で観るべきだなと思いました。こういう剥き出しのリアルは、ながら観ではなく、何の妨害もない状態が守られる劇場で観たほうが、作品の幹や伝えたいものが入ってきます。『フラッシュ~』を観てからもう、フィクションが入ってこなくなってしまいました。   矢田部:あれはもう、ドキュメンタリー史が変わるくらいの作品ですからね。斎藤さんと以前お話したときに、「役者の仕事はもちろん好きだけれど、配給や買い付けといった、劇場に映画をかける仕事に興味がある」とおっしゃっていたのがすごく印象的です。劇場への思いを聞かせてください。  
©SPACE SHOWER NETWORKS.inc
フラッシュバックメモリーズ3D』   斎藤:リュック・ベッソンが、「DVDは、劇場で体験したことを思い出すためのアルバムに過ぎない」と言っていて、一理あるなと思ったんです。やはり、劇場で映画を観るという行為は体感なんですね。2時間弱の経験値として蓄積されるものがある。どんなに自宅の上映環境が整っていても、劇場で見知らぬ方と空間を共有するということが、実はとても重要なキーワードだと思うんです。以前、ユーロスペースでメキシコ映画祭を1日中観て回ったときに、ある年配の男性と、観るコースがまったく同じだったんです。席も離れているし、会話はもちろんしませんが、終わる頃にトイレなどで出会うと、もうねえ、家族のような感覚になっているんです(笑)。そういう風に、赤の他人と同じ体験を共有する感覚こそが、映画の醍醐味のような気がします。   矢田部:natural TIFF部門は配給が決まらないケースが多いのですが、この『南の島の大統領』は、映画祭で上映が決まる直前に、ある個人に近い青年が配給権を買いました。今日、来てるんじゃないかな?(と、場内を見渡し)いました、中山くん。勇気ある青年がこの映画を公開しますので、みなさんぜひ協力してあげてください。(場内拍手)   斎藤:現在のネット社会では、本当に良いと思うものを良いと言う、口コミの力が映画にとって大きな力になっています。これからは、個人の本音が映画の肝になると思うので、この作品を観たみなさんのご感想が、中山さんの今後に繋がると思います。『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』や『キック・アス』のように、「コメディは日本では当たらない」という先入観だけで日本では劇場公開されないはずだった作品が、個人から始まった署名運動で公開、そしてヒットに至ったという例もあります。厳しい実情ではありますが、立ち上がる個人がいれば火が付いて、口コミでヒットする可能性があるんですよね。   矢田部:ところで、斎藤さんはこれだけ多くの映画をご覧になっているのですから、カメラの後ろに回って映画を作ることを考えたことがないとは思えません。どうお考えですか?   斎藤:役者として、これだけたくさんの監督に会うと、「撮るべき人」というのは確実にいるんだなと思うんです。   矢田部:なるほど。「監督になるべき人」ですね。   斎藤:僕は音楽もやっていて、去年、音楽に関連した短編映画『サクライロ』を初めて監督して、大満足の出来になりました。だからといって、変にしゃしゃり出て監督と名乗るのは恐怖だな、と。ただ、時代の潮流として、パク・チャヌクがiPhoneで映画を撮ったように、かつては公開に辿り着くまでとんでもなくかかった労力、お金、プロセスが、技術の進化によって良くも悪くもはしょれるようになりました。一台のカメラで自分撮りをして、予算をかけずに映画を成立できたらいいなとか、思いはいろいろありますけど、大事なのは「時代性」だと思うんです。たとえば松田優作さんに憧れて役者になる人はたくさんいるけれど、絶対にオリジナルは超えられない。活路があるとしたら、これだけデジタルが進化した時代ならではの表現だと思うんです。だから、僕はアナログな人間ですけれど、デジタル技術は無視できないし、新しいことに果敢に挑戦していきたいと思っています。役者としても、例えばモルディヴで日本人の旅人役が必要であれば参加したい。前例のないことや今しかできないことが、ドキュメンタリーでもフィクションでも肝になると思います。   矢田部:カメラの前でも後ろでも、映画祭に作品を持ってきてください。今後のチャレンジングな活躍に期待しています。   斎藤:ありがとうございました。  
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